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弊社のこれまでの歩みについて、平成22年に発行した創立60周年記念誌の内容よりご紹介します。
秋葉原再開発と電子パーツ店の今後
戦後の秋葉原で電子パーツ店を営んできた二代目、三代目の経営者の方々にお集まりいただき、最近の秋葉原駅前再開発や、電子パーツ店の今後について伺いました。
また、本業の傍ら地域の団体の要職に付かれている皆様には、それぞれのお立場から今後の秋葉原についてもご意見をいただきました。
出席者
- 秋葉原電波会館 代表
- 田中無線電機株式会社 代表取締役 小池一義 様
- 秋葉原駅前商店街振興組合 理事長
- 東洋計測器株式会社 代表取締役 八巻秀次 様
- 秋葉原タウンマネジメント株式会社 取締役
- 愛三電機株式会社 常務取締役 河合 洋 様
- 株式会社秋葉原ラジオストアー 代表取締役
- 株式会社丸三電機 代表取締役 竹村元秀
- 進行
株式会社秋葉原ラジオストアー 取締役 - 富永電気株式会社 代表取締役 知念利秀
知念 まずは、要職に就かれている組織、団体の話を含めて、お仕事の話をお聞かせください。
「本当に良く売れた」と子供時代を振り返る小池氏
小池 秋葉原電波会館には現在11社が入っていて、うち9社は店舗です。昭和29年ごろに現在の形となって、1階が店舗、2階が倉庫・事務所、3階に飲食店、4階が事務所というつくりです。それぞれが事業主で、好きなものを自由に扱っています。
八巻 秋葉原駅前商店街振興組合は、駅周辺に約100社の会員会社があります。駅を中心とした街の活性化のため、21年前に設立されました。
秋葉原には、秋葉原商店街振興組合、秋葉原中央通商店街振興組合、そして当組合の3つの振興組合がありますが、設立のきっかけは、中央通り並びにJR駅前通りのカラー舗装化です。その後、東京神田青果市場の移転、再開発にあたって、地元の意見を東京都や千代田区に伝える活動等をしてきました。会員は電気屋さん中心で、やはり個人経営の会社が多いですね。私自身は昭和26年の創業で、計測器を販売する会社を営んでおります。ラジオセンターには戦後まもなく創業した会社を含め、約50社の店舗で構成されており、手前どものお店も4店舗あります。
河合 秋葉原タウンマネジメント株式会社(TMO)は、今3期目です。行政と地元とで新しい形の街づくり、マネジメントを進めるべく設立されました。千代田区と再開発地域の大手企業、我々商店街、住民等が出資しています。
活動の基本は、地元の人が地元で考えて動くことです。補助金頼りでなく、我々自身がお金を稼いで、街の清掃や安心・安全のための対策、インフラ整備、エリアプロモーションを進めることを目指しています。例えば、道路に出す屋外広告の広告収入や、企業のイベントや実証実験を街全体で実施して得た調整費用等で地元の振興のために様々なことを進めていこうとしています。
私自身は光通信部材、ネットワーク機器、ケーブル・配線パーツ関係の会社の三代目です。昭和22年創業、24年設立です。
「店を閉めるのがもったいない」
知念 みなさんそれぞれに、先代から引き継いだ誇りや伝統があるかと思います。竹村と私も、各々の会社の二代目です。毎日創業者の後ろ姿を見て育ってきたということ、それ自体が大きな財産ではありませんか。
長年の友人でもある5人。和気あいあいとした雰囲気の中、活発に意見が交わされた
小池 私は昭和58年、30歳で田中無線電機に入社しました。実家は小池無線電機という店をラジオセンターで、今は弟がやっています。
子供心に実感していたのは、「とにかく何でも売れる」ということ。田中無線の田中前社長やうちの父を見ながら、「こんなにありがたい街が世の中にあるのか」「よそに就職したら、こうはいかんだろうな」と思っていました(笑)。
店を365 日開けるのは当たり前。お正月の三が日も大忙しで、店を閉めるのがもったいない。今でも、「店がある以上、開けてなんぼだ」という意識がありますよ。
入社したころはパックマン、インベーダーが大ブームで、ゲームのロジックのICはプレミアが付いた値段で取引されていました。現金がレジに入りきらなかった事もありました。そのころがいちばんいい時代でした(笑)。
「秋葉原はものつくりの街」と語る八巻氏
八巻 子供のころから、秋葉原はすごい街だと思っていました。肉の万世や交通博物館が楽しみで、店の手伝いなんか本当はいやでしたが(笑)、倉庫から商品を運ぶアルバイトをしたこともありました。ラジオセンターの店頭は、とにかくお客さんが多かった。二重にも三重にも並んで、このメーターがほしい、そのテスターがほしいと、後ろから手を伸ばしてくるんです。国内外から人が集まる街だということが、ものすごく印象的でしたね。
河合 私は、よく倉庫の電線やビニールチューブの中でかくれんぼしていました(笑)。お店にはそれぞれに活気がありましたね。間口は小さいかもしれないけど、「この品物なら、うちは絶対に負けない」というものが一軒一軒あった。ラジオストアーを「端から端まで歩くとラジオができる」というように、アキバに行けば全部そろうという街でした。
竹村 私は昭和39年でしたか、小学5年生のころ、東京見物のときにラジオストアーに連れてこられました。当時は、各店主それぞれが役員としてラジオストアーに所属していました。最初に驚いたのが、とにかく店の通路に入れないこと。カニ歩きをしなければ進めない(笑)。その印象がいちばん大きいですね。
その後約20年、バブル崩壊まではそんな感じでした。昭和46年、18歳で東京の大学に入ると、ラジオストアーでアルバイトをしはじめました。一箱、二箱と、売上金をダンボールにギュウギュウ詰め込んでいるお店もあった(笑)。卒業して昭和50年に丸三電機に入社。ラジオストアーは、ちょうどその年に組織変更です。インベーダーゲームの時代もよく覚えていますけど、今では考えられない雰囲気がありましたね。
雑多だけど安心だった秋葉原
知念 今回の記念誌は時代をさかのぼって検証するという目的もありますが、店員さんやお客さんの気質、雰囲気などはいつごろから変化したのでしょうか。昭和58年が業績のピークだったというお話もありましたし、バブル崩壊後にだいぶ変わったというお話もあります。今も秋葉原全体が急激に変化し、エレクトロニクスの街としてのイメージも薄れつつありますね。
八巻 一日中高架下で商売するなんて、なかなかできないこと。私も働きだしてから1~2年は店にいましたけど、人材の問題はずいぶんあったでしょう。ただ、あのころの人たちが持っていた専門的な知識や技術は受け継いでいかなければならないし、それを街全体がフォローする仕組みが欲しいと思います。
小池 お客様にもプロが多かったけれど、そういう人も少なくなりました。
八巻 ジャンク屋さんがありませんからね。昔はジャンクをばらして材料にしたり、部品の勉強をしたり、それを参考に新しい商品を作ったりしたもの。そういう人が本当に少なくなってきましたね。
「これからの秋葉原」についての様々な意見に頷く竹村と知念
河合 ジャンク品を買う人は、それを理解できる目があるからこそ買うわけです。そういう人たちが少なくなったということでしょうか。
街の変化についても危機感があります。何か「普通の街」になってきた気がしています。商いの街から、ビジネス街の面が加わり、更にマンションが建てられ、その関係で飲食店も増えています。
パーツ屋さん、パソコン屋さんが厳しくなる一方、商売がソフト関連に移行して、さらにフィギュア等が取って代わったりしている。
小池 純粋な電気街の雰囲気が変わってきました。それも時代の趨勢でしょうから、ある程度は受け入れなくてはいけないでしょう。
河合 コンテンツの振興のためにはいいことかもしれません。ただ、ピュアなものづくりにつながればいいんですが、メイドカフェみたいなリアルな世界も入ってきて、風俗的なものも増え、それを目当てのような人も集まるようになりました。
小池 そういえば、最近は「秋葉原って平気なの?」という声も聞かれるんですよね。ここはもともと雑多で、わいわい活気がある街でしたが、危ないというイメージは意外と薄かったでしょう。世の中がそういう雰囲気だったせいかもしれませんが、昔は暗黙のルールがありました。今はルールなき商売、販売競争が広まったこともあって、街自体の空気にも影響しています。
河合 夜も8時には店が閉まっているような安心な街だったんです。万世橋警察署の管轄内は、事件の発生率がとても少なかった。みんなに節度があったから、野暮なことを言わずにやってこられたんでしょう。
今、TMOでは「Akiba Smile」という清掃活動を行っています。また、区や警察、地元の町会、商業者が協力し合って、安心・安全パトロールも実施しています。道に出っ張った看板があれば、引っ込めてもらう。互いに襟を正そう、みんなで街を守ろうということです。
守るべき「ものづくりの街」の気概
知念 とっくに生産中止した古い商品も、時代の最先端の商品も両方扱っているのが秋葉原だと思うのですが、例えば昔の秋葉原、守るべき秋葉原と、これから変えていくべき秋葉原、何を守っていって、何を変えていくか、その辺を具体的にお伺いしたいのですが。
昭和30年代 - 電気・ラジオマニアで賑わうパーツ街
((株)東京ラジオデパート様ご提供)
河合 うちは戦後からずっと、電線やケーブルを扱ってきました。だから、我々が守るべきことは「きちんとつなぐ」ということ。流すものが電流、データと変化しても、媒体が電線、ファイバー、無線と変わってもきちんとつなぐことは変わらない。そのうえで、最先端のものをそろえながら、古くてもいいものは残していきたいですね。
お客さんへの姿勢としては、やはり「喜んでもらうこと」です。この街は、お客さんとともに歩んできました。我々もプロかもしれないけれど、ずっと上をいくお客さんが大勢います。
小池 私のところは外販部隊が本社の4階にあって、駅前にはお店が3店舗あります。本社の1階もお店で、昔の秋葉原は、今もそうかもしれませんが、売る人が商品をよく知っていました。「庭園の水まきを自動的に制御したい」というお客さんがいれば、リレーを使った自己保持回路をその場で組んでみせてあげたりしていました。
八巻 うちでは今、65歳以上のエンジニアを「計測器コンシェルジェ」と呼んで、積極的に雇用しています。社員ではなく、お客さんの「これはどうやって測ったらいいか」とか「この測定器はどうやって使うのか」といった相談に乗ってもらうんです。計測器は専門性の高い商品なので、長年業界で蓄積した彼らのノウハウは大変貴重で、それらを活用することによって、秋葉原には頼れる人がいる。そういうことが広まれば、自然に人も戻ってくるのではないでしょうか。
小池 うちでも、退職した人に嘱託で来てもらっています。お客さんもホッとするようで、「彼がいるから来る」という方も相変わらずいらっしゃる。お客さんの生の声を聞く貴重な情報収集にもつながります。
八巻 秋葉原は特徴のない街になりつつありますね。JRさんの駅ビルにはアトレが入るわけですが、ほかの駅のアトレとは違う、電気の街、ものづくりの街という香りを残してほしいと思います。とくに、我々は駅のそばに店がありますから、部品屋とつながる形の、特徴ある店舗にしてほしいと、一致団結して提案しています。
小池 個々の店が営業努力を続けるべきだというのは仕方のないことで、アイデンティティを意識しながらやっていくべきでしょう。それと、街全体としてどうやってお客さんに来てもらうか。この2 つの側面で見ていくべきですね。
河合 秋葉原には、研究や試作の部材調達の人達も沢山きてくれています。こうしたニッチな需要も集まれば、結構なボリュームになるはず。また、他には売っていない独自な商品を増やしていくことも大切だと思います。一般的な商品を全国規模で買われ売られたら、我々は正直言って勝てませんからね。
ネット時代の店舗の意味
知念 どの業界もインターネットの浸透で商売の質が変化しています。百科事典のような商品自体が消滅しつつある現象すら起きています。
ネットの時代に、リアルな店舗はどう変化していくべきなのでしょうか。ネットを利用していく部分と、依存するだけではいけない部分との区別は。
八巻 若い人はネットで買うほうが楽だと言います。法律があるから1週間以内に返せばいいということで、「サイズが合わない」「色が気に入らない」と言っては平気で返品する。私たちぐらいの世代なら、「一度買ったら返すのは悪いよな」という気持ちがありますよね。しかし、ネットでは会話もなく、そんな文化ができつつある。便利だと思う反面、危機感も覚えます。
実際に商品に触れ、目で見て、そこで新しいアイディアが生まれるという感覚も大事ですよね。お店でなくてはできないことだし、それに適切に対応できる専門の人間を育てていかなくては。
「技術者の実験にもっと街が参加できればいいと思う」と河合氏
小池 うちはネットのお客様でご来店される方も結構います。細かい点や代替品などの問い合わせもネットから電話になった方も多く、その辺が当店の特徴かと思います。
河合 緊急の時も店舗に足を向けてくれます。「切ってしまった光ファイバーを至急つなぎたい」というお客さんが、朝、店の前で待っていたりします。
また、商品には「売れるもの」だけでなく「売りたいもの」もある。仕入れてから何年もたってやっと動き出す商品も結構ありますよ(笑)。「いいものだから、もうちょっと待とう」なんて、オーナーだからこそ言えることです。アキバの店には、皆それぞれ商品への思い入れがありました。
小池 懐旧や理想論だけではだめ。アキバの空気を売っても生活できない。だから、そういう状況とどうやってバランスを取るか - 課題はそこですよね。「もうだめだ」とネガティブになっては、いい発想は生まれない。「できる」という観点に立てば、あとは意図と方法です。意図があれば、方法は無限にあると思うんです。実際、何億円という最新機器も、我々の扱うようなパーツが1つ欠ければ完成しないんです。
人が街をつくり、街が人を育てる
八巻 秋葉原のお店はみんな「プロ」でしたよね。深い商品知識があり、皆さん誇りをもっていたように思います。また、教え方もうまかったし、お客様も頼りにしていた。そういう街なんですから、お店の人たちを教育する場をつくってはどうでしょう。メーカーと協力して新しい商品の特長やアプリケーション、省エネや環境をテーマにしてもよいかも知れません。「秋葉原全体がカレッジ」という具合に。そんな人が集まる街になればと、私は言い続けてきました。
河合 店に来たメーカーさんと新製品の話をするのは楽しいですね。ある営業さんは、「大きいところに行くとつまらない」と言っていました。製品そのものではなく、「いくら儲かるか」という話しかしないと(笑)。
八巻 うちにはメーカーさんから社員が研修に来ます。技術屋さん、営業、総務、それに経理の人まで。秋葉原の店に立って、どんな人が買いに来るか1週間勉強してこいというんです。
小池 うちはインターシップ制度で毎年10日間学生を受け入れていますが「アキバっておもしろい」という学生さんの声を聞くと何か嬉しくなります。
竹村は「個と全体のバランスがキーワード」と考える
河合 うちには職場体験授業で中学生が来ていますね。「自分で作ったLANケーブルがつながった」なんて、すごく喜んでいきます。
八巻 秋葉原なら専門の情報が何でも得られる。そういう情報発信基地として、特徴ある街づくりをしていかなければ。やはり専門の人間を育てていくことです。うちの組合では、少しでも子どもさんの理科離れを食い止めるお役に立てば、との思いから電子工作教室を開いています。電気にかかわるものづくりに、これからもこだわっていきたいですね。
ハコモノは最近いろいろできましたが、そこで何をやっていくかが課題です。いろんなソフト、人を呼べる仕組みをもっと考えていけたらと思います。エンジニアの甲子園や、ものづくり大賞のようなものも考えられます。
河合 秋葉原全体で先端技術の実証実験をやろうという取り組みがあって、TMOが事務局を引き継ぎました。この街は実際にお客さんが行き交っていますし、エリアもきれいに分かれています。神田川や幹線道路で区切られていて、「アキバ」の範囲がはっきりわかります。UDX等ランドマークもできました。来街者、通勤者、居住者がバランス良く居て、実験するにはぴったりのフィールドなんです。それをもっともっと活用したい。
「ガード下」のこれから
知念 駅ビルでアトレが開業すると高架下の電子パーツ店だけが取り残されたイメージになりそうですが、保存の価値があるほど古い建物でもない。公共性の強い場所ですから社会的な責任もあります。現状を放置せず高架下店舗が一体となって解決すべきだと思いますが、「駅前高架下」については、どんな将来像をお持ちですか。
小池 うちの店は駅前の北側の通りに面していて、このままで良いとは思えません。外壁や歩道の上のテントなどを直そうとしていますが、具体的な時期や予算はまだですね。
それぞれの立場から「秋葉原」を語っていただいた
八巻 理想は駅から高架下の店につながることです。JRさんからも協力の話が来ていますし、こちらもいろいろお願いしています。今、間にある建物を検査しているところです。
知念 TMOではパーツ店舗の将来像について話題になりませんか。
河合 TMOの準備段階で、街の問題を出し合った際、「ガード下を是非残したい。あのままでは危ないから、整備をしないと」という意見がありました。アキバの人ではないのですが、心配してくれているんです。店の新陳代謝も、扱う商品も変わっていくでしょうが、「この店にこんなものが」という驚きは今もあります。アキバの原点みたいな場を、これからも残していきたいと思います。
竹村 秋葉原の電機関連の小売店舗は特にここ数年、統合、縮小、廃業が進んでいるの現状です。全国的に、電気街だけでなく、さまざまな商店街が地盤沈下というか、埋没しかかっています。当事者である我々は早めに手を打っていくべきでしょう。
少々困惑しているのは、地権者のJR さん、役所の千代田区さんも具体的な提言をなかなか出されないこと。今まで再開発問題で多くの苦労を経験されてきた結果だとはおもいますが、非常に、必要以上に慎重です。
しかし、政権交代も起きて世の中が様変わりしたわけですし、民間企業も社会的責任を負わなければならない時代です。もっと気楽に、相談なり提案をしていただきたいですね、そんなに地元を怖がらず(笑)。
小池 ラジオストアーさんは60年間も本当に希有な状態で続けていらした。9店舗が9店舗、扱う商品が違う。不文律があったのでしょうが、それを何十年と続けるのはすごいことです。
知念 ラジオストアーは先代が昭和35年前後に、将来を睨みながら、店舗で上げた収益を再投資して商社やメーカーを別会社として立ち上げ、発展させ、その事業がうまくいって今の状態が維持できている - 60年もの長期にわたって変化せずにこられた背景には、そういう部分もあるわけです。お店をアンテナショップとしてでも維持できるのは、ほかの事業がうまくいって余裕があるからこそ、という面もありますね。
八巻 個人でできない部分は、組合をつくって、お客さんが楽しくて得する企画を打ち出していくしかないのでは。広告も、個々ではなかなかできません。私が進めたいのは、高架下の3組織で買い物袋をつくること。各店の名前や取扱商品、電話番号、それに地図を入れるんです。そんなことを協力して進める組合が、そろそろ必要なのではないでしょうか。
パーツ店の生き残る道
知念 最後に我々のパーツ、生産材の小売店舗が生き残っていくための指針、提言があれば、一言ずつお願いします。老舗の家電店が減少し街の様相が激変している秋葉原の現状を踏まえてお願いします。
工事中の秋葉原駅と完成したクロスフィールド
河合 ほかと同じことをやっていてはだめだということは、もうはっきりわかっています。それぞれがとんがったカテゴリーキラーとなることが大切だと思います。ただ、突飛なことをやっても難しい。また、お客さんと一緒につくってきた街ですから、この信頼関係を保っていきたいと思います。これからはみんなで一緒に「オールアキバ」で進める部分も必要でしょう。ずっと魅力を失わず、発展する街であってほしい。
八巻 この1、2年は、JRとの協調を集中的に進めていきたいと思います。それから、高架線下の専門ショップの組合なりをつくって、1社でできないこと、販売のための情報交換などができたらと思います。みんなでカタログをつくってもいいでしょう。ちゃんとお店があるネット通販だ、ほかとは違うプロ集団の通販だとアピールしていくんです。
新形LEDやLCD、耐熱性の高い半導体、長寿命バッテリーなど進歩の早い電子部品業界の動向を、メーカー横断的にタイムリーに提供するミニセミナーなども有効かも知れません。
意見に耳を傾け、座談会の舵取りをする知念
小池 うちは電子部品にこだわったほうがという考えもありますが、同じ商品はどの大手もやっています。価格では負けるかもしれない。では何をやるかというと、やはりお客さんに提供できるサービスでしょう。街に来て感動した。お店で期待以上のサービスをしてもらった - そう思ってもらうことが必要です。お客さんとの接点を広げるには、口コミのように地道な方法に頼るしかないでしょう。すぐには数字に表れないかもしれませんが。
竹村 キーワードは個別と全体ですね。自分の店なり会社なりに責任を持つのは当然で、それをこなしながら全体としてどうするか模索する。すでに皆さんがやっていらっしゃることですが、今まで以上にすばらしいことだと感じました。
秋葉原の将来のためにも、協力し合いながら、努力を惜しまずやっていきたいと思います。本日は、忌憚のないご意見をありがとうございました。